平成21年11月定例議会

123

筒井タカヤ 一般質問

 

【質問】筒井タカヤ

 

国際芸術祭あいちトリエンナーレについて質問いたします。  

 

この度、私(筒井タカヤ)は、愛知県議会から派遣され、海外調査団(欧州班)の団長として団員一行14名と共に調査・視察する栄誉をいただきました。  この件に関しては、海外調査団員の中でも最も若く、感性ある川嶋太郎議員から先日・議場において報告させて頂きました。  

 

来年(2010年)に開催される「あいちトリエンナーレ」国際芸術祭への参考となるような調査報告をする極めて重大な使命をも併せ持つ、選ばれた調査団でありました。  イタリアでは、開催中のベネチア・ビエンナーレ等の会場を見学致しました。  世界を代表する作品の数多くを詳細に見学をさせて頂きましたが、私自身どの作品を見ても「これが芸術なのか?」と驚きすら感じた作品が数多くあり、圧倒されるような複雑怪奇な想いを感じました。  

正直に言って、我々海外調査団一行の議員は、優秀である感性のある議員が県議会を代表して選抜されたと自負をしておりました。  それでも、今回のイタリアにおける現代芸術展(ビエンナーレ)は衝撃的なものでありました。  

 

イタリアのビエンナーレは参加国(77か国)を代表する芸術家が国の威信をかけて選ばれての展示と言われ、現代美術作品のオリンピックだと称されているとのことであります。  私が視察した感想をストレートに表現するなら、「現代美術とはこれまでの常識の美の破壊だ」と感じました。  現在の日本で広く理解されるにはあまりにも難解であり奇怪ですらあるというべき作品が多過ぎました。  

 

我々...県議会のイタリア(ベネチア)国際芸術祭:ビエンナーレを見た衝撃的な展示を数点お話させていただきます。

本会場の入口付近にある北欧3か国が共同して発表する展示館は、正面入口の前に小型のプールが作られ、そこには水に浮かんだ男性のYシャツ姿の溺死体の人形がありました。  プールサイドには、一足の革靴がキチンと並べられていました。  浮かんだ男性の人形のプール底には腕時計とタバコが沈んでいました。  遠くイタリアまで来て、実にいやなものを見せ付けられた不快な想いでした。

展示室に入ると、大きなテーブルがあり、10人分の皿が並んでいました。(ある時期にはこの住人は栄華を極めたと思える生活様式を感じさせる雰囲気の案内。)

 

テーブルの横には「黄金の顔」のメイドさんらしき人形が立っていた。  奥の書斎のテーブルには小説家は偉大な職業である・・・の一文が書き残されたタイプライターがあり、吸いかけていたらしいタバコが机に直接ギュッと押しつぶされていました。  (横壁には男性の性器がグチャグチャに描かれ苦悩の場面。)

 

そう言えば、テーマは「ある小説家の失敗と成功」と書いてあった。  たぶんこの部屋はある時期に創作に行き詰まり失敗した小説家の部屋なんだなと直感させる雰囲気でした。  隣の部屋の成功した小説家の展示は階段の1階から2階に行く途中の階段が壊されていただけです。  実に、こりゃなんだと思っていたら、案内人が「成功した小説家は2階に住んでいた。でも今は成功したから、別の豪華な平屋に移った。だから2階の階段はいらないのです」というような解説をしてくださいました。

 

こんなバカバカしい物を見に来たんじゃないと腹立たしい想いを感じ、次に日本館に行くことにしました。 ここならまともな作品であろうと思ったからです。 3階程の鉄筋コンクリート作りの常設館には、建物を包むように真っ黒な網に覆われていました。  変な予感はしましたが、日本はまともな展示物であろうと祈るような想いでした。 日本を代表する展示は柳 美輪さんという女性の白黒の写真の展示作品でした。  横幅3メートル、縦8メートルのパネル作品が4枚。  作品は「仁王像」のように女性が立つ写真。  1つは、飾りのついた女性の水着のビキニを履き、腰から足にかけてはショボショボ、シワシワ、胸だけは大きな冬瓜のような巨大な姿で、髪を逆立て何か大声で叫んでいるバケモノでした。  もう一つは、これ又飾りのついたビキニを履いて、腰から足にかけては若い女性のピチピチの姿。  反面上半身の胸はしょぼくれた大きなヘチマを2つぶら下げ天に向かって髪を振り乱して叫ぶ異様な姿でした。  私はバケモノ屋敷に入ったような吐き気と怒りで日本館を出ました。

 

その隣のドイツ館は、ヒットラーが立てた堅剛な建物。その中に入ると、大会場に、何の意味もなく、どこにいでも見かける木の棚が数多くただ置かれているだけです。(入口を間違えて会場の物置にでも入ったかと錯覚したほどです。)

 

その一つの棚の上に、小さな実物そっくりな作り物の猫が手紙を口に加えていただけの作品でした。我々県議会の調査団員の中にはその猫の存在にすら気付かない人もいました。

 

もう...お分かりいただけたかと思います。  実に、まともな人間、ごく普通の一般人からすれば、高い金を払って見るようなものでないと思われるのがその国を代表する作品だったのです。

 

もう、メイン会場以外の別会場でも、展示作品がありましたが押して知るべしです。巨大な鏡が「6枚」その鏡を部分的に壊しただけのもの、更にペットボトルが並んでいるだけの作品、もうこれはダンボールを破いただけのゴミだと思えるような作品もあり、頭の中がおかしくなってしまいました。

 

会場付近には、中世の建物と建物の間に色とりどりの洗濯物が干してありました。これはなかなか色彩と形状の良い結構な作品で、どこから見ても空に浮かぶ新しい造形作品だとつい感心して見ていたら、それはごく普通の民家の単なる洗濯物だと言われ、笑われてしまいました。

 

もう少し配慮があって、会場に展示されている作品の横にでも、作品の説明や作家の意図が表示されていればそれなりに作品を少しは理解が出来て楽しめるのではないかと真剣に思いました。  是非とも来年に開催される国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」においては、是非全ての作品の横に作家の意図や作品の説明を表示していただきたい。又、パンフレットにも作家の作品の意図する「夢」との語らいを記載して頂ければと強く願っています。(でなければ、サッパリ意味するものがわからないからです。)  知事はどのように感じておられますか。  知事の所見を求めます。 

 

 

もちろん、イタリアには110年余の現代美術展の歴史があります。  長い歴史の中でイタリア国民はその時々の現代美術に幼い頃から慣れ親しんできました。  しかし日本では現代美術の歴史や認識が浅く、出会いもほとんどありません。  この大きな違いを無視してイタリアと同様の美術展を開催しても、県民にただ不快な思いと反感を抱かせるだけで、まったく理解されないであろうと私自身は率直に感じました。  ましてや今日のような県財政が破綻した状況下において貴重な公的資金の支援をする現代美術展を行えば、2010あいちトリエンナーレを提唱された神田知事をはじめ、それを賛成した私ども議会も、更に県当局も含め、県民の現代美術に対する無理解によって、わけもわからない芸術祭(トリエンナーレ)と称して多大な県行政の税金のムダ使いと大批判をこうむることはもはや避けられないものがあると率直に感じております。

現代美術が根付いていないのですから、「こんなものは無駄だからすぐにやめるべきだ」という批判があって当然です。  しかし、若い世代に現代美術を見せ、慣れてもらい、ただ一回だけの直感的な抵抗感だけで現代美術を理解するのではなく、何度も見ていただいて理解下さるように努力することが大切なのです。

 

日本では「モナリザ」や、ゴッホの「ひまわり」、「ミロのヴィーナス」の展示をすれば、長蛇の列ができます。  しかしそれだけが芸術はありません。  芸術の先進国からすればこのトリエンナーレやビエンナーレのような、その時点ではわけのわからないような現代美術作品も同じ位置付けなのです。  理解されるまで、どんな批判にも負けず、根気良くあいちトリエンナーレ続けることが今の世界における芸術を知り、理解するにはとても大切なことなのだと私は主張したいのであります。 

 

 

そもそも私ども日本人が歩んできた学校教育の課程では、美術及び芸術の基準は、フランスにあるルーブル美術館及びオルセー美術館等で学んだ中世・近代の巨匠の、ダ・ヴィンチ、レンブラント、ルノアールやゴッホ、モディリアーニ、ロダンといった作家の絵画及び彫刻でありました。  現代的な抽象画の大家と言われるマチス及びピカソ等の作品等を学びました。  「こういう変わった作品も芸術の一つなのだろう」と学んでいます。  しかしながら国際芸術祭:「トリエンナーレ」の会場を飾る現代芸術という新しい分野の作品については、私ども日本人のほとんどが、学校教育の場で教えを受けた経験もありません。その後、社会人になった今も現代芸術の作品等を鑑賞をするといった機会もほとんどありませんでした。  それゆえに、「現代芸術の傑作」とその筋の審査員から賞賛を受ける芸術作品ですら、「これはなんだ」というものでしか目に映らないのであります。  

 

では、今、愛知県の現代芸術に対する認識はどのようなものでしょうか? すぐに思い浮かぶのは、愛知県を代表する愛知県公館の入口に展示されている現代芸術の作品であろうかと思います。  この作品はきっと日本を代表する現代芸術の作品であるからこそ県公館に展示されていると思いますので、パネルにして持参いたしました。  「皆さんよくご覧下さい。」  この写真がその愛知の現代芸術を代表する作品です。  この作品は、一口に言えば、2メートル四方の両隅を白くペンキで塗った細い鉄の棒でもって支えられた鉄枠に白い布が糸でもって吊ってある作品です。  

 

私には、どう見ても単なる白い切れっ端を100か所近く上から糸で宙につるしている、なんの変哲のない不思議な作品としか理解できない物でした。  これもまた、展示されている作品の横にでも、作家の意図や作品の説明が表示されていれば少しはそれなりに作品を理解が出来て楽しめるのではないかと真剣に思いました。  ちなみに、この白い布の作品は価格は350万円だと県職員は言っておられました。  知事はこの作品をどのように見られ、感じておられますか。  知事の所見を求めます。  

 

また、新しく就任された高尾副知事は県公館にある宙吊りの白い布のあの作品を眺めて、どういう感慨と思いを抱かれたでしょうか? 作者の意図をどのように受け止めが感じられたのか、率直なご意見をお聞きしたいと思います。

(ちなみに健康福祉部長は砂漠をイメージしたと言っておられました。  

※何故、この白い布をつっただけの作品が砂漠をイメージするのかは、これ又、不思議です。  観た人のそれぞれの想いが異なるからこそ、話題が、夢が膨らむのが現代美術作品なのかと私は感じております。  )

 

次に、このあいちトリエンナーレに関しまして、先の平成21年の9月県議会において知事は、胸を張って「小中学生は入場料を無料とする」と誇らしげに述べられました。  これをお決めになった理由を率直にお尋ねします。  

 

今回のあいちトリエンナーレは、未来を担う子供たちにとって、感受性を育てる絶好の機会だと思います。  高校生や専修学校生、大学生という多感な世代、芸術に対して最も素直に感動するであろう世代にとっても、またとないチャンスです。  

 

そこで教育長にお尋ね致します。  今回のビエンナーレ視察の際、感じましたことは、是非とも「あいちトリエンナーレ」には小中高、専修学校生から大学生の若い世代には出来るだけ多く現代アートを見せ、そこから生まれる素直な感性でもって新しい創造性を見出すような環境を数多く提供することが我々の責務であり大切なことだと痛感した次第であります。  

 

現代アートに接する機会は、愛知県内の学校教育の現場にどの程度作品を観る機会が用意されていたでしょうか。  課外学習及び美術課程において、来年に開催されますあいちトリエンナーレ(国際芸術祭)に対し、学校側としてどのように見学されるのかについて、どこまで検討がなされているのかお尋ねします。  (小・中・高校単位で正規の授業の一環として引率する計画がどの程度、検討されているのかについての質問です。  教育長の答弁を求めます。)

 

次に、なぜ高校生や専修学校生、大学生は有料とされたのかについても質問致します。  今、日本の政府は公立高校生の授業料の無料化、更には私立学校に通う生徒にも授業料の無料化を推進していくとのことです。  このことを考えてみても、高校生までは入場料を無料とするのは今時は当然のように考えますがいかがでしょうか。  又、私共には郷土を代表する徳川美術館があります。    そこには源氏物語の写本原本、及び我が国を代表する歴史的な美術工芸作品等が誇らしげに展示されており、多くの人々に愛知を代表する美術館として愛されています。  徳川美術館の入場料は、大人は1200円ですが、学生証を提示すると、徳川美術館の運営を支援する大学の学生は無料にしていることであります。  次の世代を担う学生に広く大勢来て貰い、この郷土を代表する収蔵品のすばらしい作品を観て理解されるよう懸命に努めていることにその心意気に感銘するのであります。

 

こうしたことを思うとき、愛知県で初めて行われる国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」を、小中学生だけではなく、高校生、専修学校生、大学生を対象に入場料の無料化をすることを求めます。そもそも、現代美術の世界的な過疎であることを解消する遠大な理想もあっての2010あいちトリエンナーレであるならば若い世代を全員招待する心意気こそが大切なのです。(知事の所見を求めます。)

 

徳川の殿様には高い志があって、愛知県の殿様の知事にはその心意気がない、というのではあまりに恥ずかしいと思われませんか。  

ぜひ、知事の指導力を発揮していただき、学生は全員無料にし、たくさんの若者に国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」を数多く楽しんで、更に理解してもらうようにしていただきたいと思います。  

知事の答弁を求めます。  

 

愛知県知事である神田真秋氏の著書「忙中美あり。」には、現代芸術作品は、実に難しいが、とにもかくにも、何回も何回も観ることによって作品が訴えるもの、意図するものが理解できると言っておられます。

 

そうであるならば、なるべく、頭脳の柔かい若い人々こそが、何回も何回も国際芸術祭の展示作品を見て欲しいと知事もおっしゃっておられるのです。  

 

先の9月県議会で発言された中学生までを無料とする従来の方針を再検討してください!! 知事の明確な答弁を求めます。

また、あいちトリエンナーレ開催にあたっては、「ボランティア等の募集をしている」との情報に接します。  これは大変いいことであり喜ばしいことであると思います。  ボランティアの人たちがより一層友好的・効果的に活動できるようにする為に、地元愛知県で活躍する芸術文化協会(ANET)等その他芸術を愛する専門の人々との更に連携を深めて友好的に機能するよう図られたいと思います。  私の知る限りではまだまだ未成熟な関係だと思っています。  2010そして次の2013のあいちトリエンナーレを考えます時、お互いが信頼できるようになる相互の交流を深めていただきたい。  所管する県民生活部長の答弁を求めます。  

 

更に、私が知る範囲内では、県当局は優秀な愛知県芸術大学の学生に対し、ボランティアとしてあいちトリエンナーレを推進・協力のために積極的な参加を求める働きかけをなさっておられるようです。  

 

確かに、芸術を専門的に学ぶ優秀な県芸大及び私立の芸術大学と美術専修学校の学生の応援があることは大変に心強いものです。  芸術を専門的に学ぶ学生を便利な応援ボランティアとしてだけ考えるのではなく、キチンとした待遇をもって迎え入れる形を作っていただきたい。  知事の名前を記した正規な「委嘱状」を発行した身分を与えて欲しいと願う一人です。  正式な委嘱状を受け取ることで、学生たちも2010あいちトリエンナーレという「世界の芸術祭典に自分も寄与し参加した」という確かな記憶と誇りが一生涯記憶に残るでしょう。  その記憶と誇りは、今後、学生たちの勉学への情熱を更に強固なものにすると確信します。  単なる便利なボランティア要員としてではなく専門的な知識を持った学生をトリエンナーレの大切な要員として保証されることを求めるしだいです。  又、県芸大及び県内私立芸術大学・県内の芸術専修学校が協調・連携・競い合うようにイベントを企画することによって「あいちトリエンナーレ」開催の前に気運を盛り上げるような祭典をよびかけていただけないでしょうか。  ご答弁を願います。  

 

質問を終えるにあたり、現代美術をわかりやすく単純明快に表現すれば、初めてみたときは「これはなんだ」としか言いようのないけったいなものが、いつまでも心にひっかかり、その不思議さ・異様さが気になって、忘れたいのに、あのへんてこな作品が頭にこびりつき忘れられない魔力を持っているのが現代美術なのではないだろうかと感じました。

 

総括するならば、「現代美術は、我々に真実を語らせる嘘である」、繰り返します、「現代美術は、我々に真実を語らせる嘘である」。  この言葉でもって質問を終えます。

 

 

 

 

 

 

【教育長答弁】

まず県内の学校におきます現代アートに接する機会についてお答えいたします。

小中学校では、図画工作や美術の時間、また社会見学などの学校行事において、様々な美術作品に触れる機会を設け、児童生徒の発達段階に応じて、豊かな情操を育んでおります。

今年度、学校行事等を通じて美術館を訪れた小中学校は約3割程度でありまして、その内現代アートについても鑑賞をしております。高等学校においてもほぼ同様の状況でございます。また、児童生徒は、鑑賞以外にも自分で絵を描くときなどに現代アートの作品を参考にすることもあり、様々な形でかかわっております。

 

次に、あいちトリエンナーレへの学校としての対応についてでございます。

先日、県内の小中学校及び高等学校の全児童生徒に、学校を通してあいちトリエンナーレのPRパンフレットが配布されたところでございます。また近々、学校向け教育プログラムの案内もされると伺っておりますので、県教育委員会といたしましても、あいちトリエンナーレ実行委員会と相談しながら、より多くの児童生徒が参加できるよう、市町村教育委員会や各学校に働きかけてまいりたいと考えております。

 

 

【県民生活部長】

まず、展示する作品の表示についてであるが、全ての作品の横に作品名、作家名及びその生年・誕生地を記載したパネルを設置することとしている。ただ、作者の意図などについては、そうしたない様の表示を好まない作家もいるので、現在、どのような記載内容にするのか健闘しているところである。

 

また、出品作家の作品の傾向や作家の「語らい」といったものをできる限り載せたガイドブックを作成し、なるべく廉価にて提供してまいる考えである。

 

その他、ガイドツアーの実施やイヤホンガイドの提供、アーティスト・トークの開催など様々な方法で、少しでも作品についての理解を助け、現代アートを楽しんでいただけるよう、準備を進めているところである。

 

 

 

【県民生活部長】

次に、小中学生の入場料を無料として理由についてだが、トリエンナーレは、感受性がもっとも豊かな年齢期にある小中学生が、世界の最先端の芸術に出会い、感性を育むまたとない機会であるので、学校行事やご家族と一緒に、できるだけ多くの子どもたちに来場いただけるよう無料としたものである。

 

 

 

【県民生活部長】

既に開催されている横浜トリエンナーレや、上海ビエンナーレなど国内外のビエンナーレ、トリエンナーレで、高校生や大学生を無料としている芸術祭はないと承知している。

あいちトリエンナーレにおいても、その運営財源として一定の入場料収入の確保が課されておりますので、高校生以上の入場料を無料とすることは現時点で考えてはいない。

 

しかしながら、若々しい感性を有する若者たちにできるだけ多く会場に足を運んでいただけるよう、高校生、専修学校生、大学生の入場料については、一般と比べて相当程度低く設定してまいりたいと考えている。

なお、徳川美術館は、「大学メンバーシップ」の制度を導入しており、回避を支払ってメンバーシップに加盟している大学の全ての学生は、学生証の提示のみで一年間何度でも徳川美術館に無料入管できるとのことである。ちなみに、学生数が一万人以上の大学は、年間43万円の会費を支払っていると聞いている。

 

 

 

【県民生活部長】

2010年のトリエンナーレにおいては、ボランティアの方々に会場運営やガイドツアー、あるいは、出品作家等の作品制作のサポートなどの業務を担っていただきたいと考えている。

 

トリエンナーレの開催に向けて、芸術に関する理解を深めていただくため、ボランティアの方々を対象とする講座の開催を予定している。その中において、たとえば、地元の文化芸術団体の関係者に講師をお願いするなど、ボランティアと地元で活躍する芸術の専門家との連携や交流の一助となるような取組みを検討しているところである。

 

 

 

【県民生活部長】

トリエンナーレの業務をサポートしていただくボランティアの方々に対しては、トリエンナーレに参加した満足感や誇りを抱いていただくとともに、トリエンナーレの草の根応援団になっていただきたいと考えている。

そのため、現在、トリエンナーレ実行委員会会長である知事からの委嘱を明記した、ボランティアとしての身分証明にも使えるカードを作成し、交付することを検討している。

 

 

 

【県民生活部長】

既に県内芸術大学については、本年12月から来年の3月にかけて開催する「あいちアートの森」という、現代アートの展示を主体とした文化芸術振興事業への参加を呼び掛けたところである。幸い、県立芸術大学、名古屋芸術大学、名古屋造形大学と県内の主要な芸術大学の積極的な参加を得て、県内6地区で約100名の作家が作品制作とその展示を行っている。あいちトリエンナーレ2010の開幕機運盛り上げに大いに寄与するものと期待しているところである。

 

今後も、県内の芸術大学や芸術系の専修学校に対して、トリエンナーレを盛り上げていただく「パートナーシップ事業」の実施などを働きかけていく考えである。

 

 

 

【高尾副知事】

愛知県公館の作品を見ての感慨と思いについてお答えを致します。私もこれまで現代美術というものに触れる機会は実はあまり多くありませんでした。着任して早々、公館で初めて作品に接しまして、近づいて上から布を覗き込んだ時には、ちょうど飛行機の窓から雲海を見下ろしているような印象を受けたことを覚えております。

また、少し離れて目線を低くして横から眺めますと、微妙な凹凸を持った白い布が、ちょうど天空と下界を分け隔てるような何か神聖なしきりのように見えたというのが最初の印象でございます。最近では、布の下に入って見上げたらどんな感じがするだろうとか、外に出して屋外で太陽の光の下で鑑賞したらまた違う趣があるんじゃないかとか、ある意味では気ままに想像をめぐらして、自分自身で楽しんでおります。

 

この作品の名前は「白い布による空間」というのだそうでございますけれども、作者の意図につきましては正直いまだに掴みきれておりません。ただ、わかる、というところに至らずとも、自分なりに感じるということはできると思いました。楽しいとか、驚いたとか、不思議だとか、気味が悪いとか、さまざまな感情が沸き起こる中で、イマジネーションを広げるということが、現代芸術への接し方のひとつなのかなと感じております。そのためにも議員ご指摘の通り、なるべく多くの作品に接する機会を積み重ねていくことが大切だと実感をしているところでございます。以上でございます。

 

 

 

【知事】

ベネチアの感想をいろいろ述べていただきました。衝撃的だったというお話でありますが、筒井議員も現代アートを理解する第一歩を踏み出されたと、大いにご期待を申しあげております。

 

私は、行く前はもっと過激で挑発的で異端で不思議で、こんな作品が並んでいると思いましたけれども、かつて横浜で見たものやらそのほかの美術展で見たものやらと比べましても、それほど度肝を抜かれるというものはありませんでした。100年というベネチアの歴史があるわけですけれども、かつて日本の棟方志功がここでグランプリをとったり、あるいは同じ版画では池田満寿夫さんも同じようにここで賞をとっておられますけれども、あの時代はこのベネチア・ビエンナーレもずいぶん様相を異にしていたようであります。お聞きを致しますと、今は絵画だとか彫刻だとかそういうジャンル分け、カテゴリーわけというものがほとんどなくなったというのが現代アートの特徴のようでありまして、インサーレーションで空間中心に展示をする映像を導入する、光、明りというものを大切にするという、そういう傾向が強まっているというふうにきいております。したがって、多少なれるということは必要なのかもわかりませんけれども、私も勉強中であります。

 

なお、先ほど議員は歴史上の、たとえばダ・ヴィンチだとかレンブラントだとかゴッホだとかマチスだとかピカソだとか、様々な有名な芸術家の名前を挙げられました。こうした歴史上の有名な作家というのはおそらく当時何万人といた芸術家の中でもその後の歴史の審議官のフィルターを通って今の現代に残っている作家であります。おそらく我々が見ております現代アートは100年後どれだけ残っているのかもわかりませんし、どういう人が残っているかもわかりません。しかしやっぱり現代の作家の息吹というものを直接現代人が同時代人として体験したいと思っております。

 

なお、知事公館にPRのために美術館から借りて作品を置きました。その前にはこの議事堂の1階のエントランス、それから県庁の正面玄関のところにもそれぞれ置かせていただきました。県庁へお越しになる沢山の皆様方の目に触れていただきたいと、そんな想いからであります。なお、知事公館の作品は、私も作家の意図はよくわかりません。ただ、外国のお客様も含めて、公館へいらっしゃる方とそれを話題にすると、いろいろと話がはずみ、いい雰囲気がかもし出されることになります。とてもこれは重要なことだろうと思っております。今後、このトリエンナーレを成功させるためになにが必要か、ということでありますけれども、やはりまだまだ大きな垣根があるような気が致しておりますし、敷居が高いような気がいたしております。これを県民の皆様方に、どう敷居を低くし、身近なものに感じてもらうのかなということでございますが、今日はこの本会議場で衝撃的なお話を聞かせていただいて、メディアを通じてまたいろいろ県民の皆様方にもこのトリエンナーレをいっぺんちょっと興味を持ってもらうきっかけになったという意味ではとてもありがたい質問でありました。

 

経済の厳しい中でのやらせていただくことでありますので、もちろん失敗は許されませんし、今日の別の質問でもありました通り、2回、3回と続くようにしなければなりませんので、一回目の成果というのは、我々も本当に真剣にそれが出るように努力しなければならないというふうに思っております。職員一丸となってがんばってやってまいりますので引き続きのご理解とご協力とをお願い申しあげます。

 

 

 

 

 

 

 

 

【再質問】

 約40年前の大阪万博を語る時、日本の現代美術を代表する作家の岡本太郎氏が制作した、当時の最先端の現代美術であったシンボルタワー「太陽の塔」が今でも心に焼きついていることを忘れないでほしいのです。現代美術が持つ、いつまでも心に残るすばらしい魅力を素直に考えてみるべきです!  愛知県で開催された万博「愛・地球博」のシンボルと言えば、キッコロとモリゾーでした。  たしかに可愛らしく人気も出ました。  

 

しかしキッコロとモリゾーはいわゆる「ゆるキャラ」ブームに乗ったものであります。   40年、50年と時間が流れてもその斬新さ、インパクトが薄れない「太陽の塔」のような現代美術は未だ愛知県には存在しないのです。

 

それを想う時、2010あいちトリエンナーレを開催することが出発点になって、世界的に見ても現代美術から疎遠であるとも評される日本そして愛知の風土を変える革新的な「試み」となると信じたい。

 

若い人々の感性を大いに刺激する2010年あいちトリエンナーレ(国際芸術祭)でありたいと心から願っています。  

 

最後に、この2010あいちトリエンナーレは、一回だけの開催で終わる考えなのか、それとも2013も開催するという強い意志があっての開催なのかを本音を率直にお尋ね致します。  

 

ベネチアでは、現代美術だけではなく、舞踏・ダンスのトリエンナーレ、更に「建築」のトリエンナーレ等が開催されていることを知りました。

 

世界遺産の超有名なベネチアになればこそ可能な背景もあると思います。  次の2013あいちトリエンナーレは、いつもながら現代美術でなければいけないとは私も思ってもいません。地元の愛知県内の芸術・文化を推進される指導者の声として、次は「舞踏・ダンス」及び「日本の伝統芸能」も含むトリエンナーレを期待する声が多い。

 

知事の所見を求め、質問を終えたいと思いますが、ただもう一つ、言いたいのは、これまで今、知事が、また県が、一生懸命次の世代のために私たちはこのトリエンナーレをやるというのに際し、若い世代に対して従来までのような、いわゆる横浜で開催したトリエンナーレがどうのこうのという入場基準を持つのではなく、今、こういった不況だからこそ、徳川宗治のように私たちの世代の先輩たちは厳しい時代にあってこそ、文化・芸能を推進した、そういった時代背景もあります。

 

どうぞ一つ、心意気を示して、若い世代、高校生以上の学生についても入場料の無料化を、もう一度謙虚に検討していただきたい。そういった意味での2010あいちトリエンナーレ、あいちの心意気を示してもらいたいことをさらに要望し知事の所見を求めます。以上です。

 

 

 

 

 

【知事】

再度、ご質問を頂きましたのでお答え申しあげます。2010年を第1回としてその後も決意を持って続けるのかということでありますが、当然3年に一度開催するという強い意思で取り組んでいく覚悟でございます。あわせて美術だけではなく様々な舞台芸術やら周辺芸術の広がりも配慮してまいりたいと思っております。

このことでこの地域が文化・芸術に大変豊かな愛知県になるような努力をしてまいりたいと思っております。それからできるだけ多くの皆様方にごらんをいただき、参加できるような様々な工夫やら仕組みもこれから十分検討したいと思います。