昭和151120日に、愛知県愛知郡猪高村大字高針及び天白村大字植田の地区の一部「約190.41ヘクタール」を牧野ヶ池緑地として内務大臣は決定をしました。本計画の変更を必要とする場合は都市計画愛知地方委員会の議を経て内務大臣が出来ると記してあります。

 

 

 緑地の指定理由には以下の通りです。

 

 

 「工業大都市たる名古屋市における防空施設として環状緑地帯を造成しもって都市防衛の用に供し戦時下における生産力の円滑なる運行を計ると共に平時に於いては市民の保健休養に資し体位の向上をはからんとするものなり」と記してあります。

 

 

 もともとこの地区は村の共有林及び個人所有の財産であったものを戦時下の命でスズメの涙の保証で接収し緑地指定をしたものです。

 

 

 軍国時代の中で、防空施設に必要となれば逆らうことも出来ないものでした。

 戦後は内務省がなくなったこともあり愛知県が県管理(県有地)として整備をしています。

 

 

 国の命令による牧野ヶ池緑地の指定をおこなったことによる貢献及び最大の利点を挙げれば、戦後の混乱期における燃料不足で他の地域のほとんどが、生活燃料として利用するために木々を伐採したが、県牧野ヶ池緑地一帯は無法状況の樹木の伐採はなく緑を守ることが出来たことです。

 

 

 県牧野ヶ池緑地を含む猪高村は、戦後名古屋市と合併しました。

 以来、時代の要請に応えるようにして大規模な住宅開発、即ち、土地区画整理事業によって、東名・名神高速道路の名古屋インターチェンジ・環状2号線の上社ジャンクション・名古屋市営地下鉄(東山線)4つの駅・学校・公園・医療・福祉・スポーツ施設も充実した名古屋市名東区として誕生。今では名古屋市民から住むのであれば名東区が一番と言われる人口16万人の最優良の住宅地となりました。

 

 

 今回、私がこの議場でもって質問をいたしますのは、戦前に定められた県牧野ヶ池緑地の名称を元々の由緒正しい名前に改めていただきたいと強く求める内容です。

 

 

 戦時下の防空緑地として強制的に土地を提供された地元の人々から、今も尚公式に名称を県牧野ヶ池緑地と言うのは間違いであるから正しい名前、即ち、牧野池緑地と改めていただきたいという声が拡大しています。

 江戸時代及び明治・大正時代はもちろんのこと、昭和の初めまで、この地域の大切な池(牧野池)と呼ばれる池があります。

 

 

 江戸時代に、「牧野池」は田畑を潤すために人工的に掘られた池(人工池)です。自分達の「田と畑」をなくし、そこに池を造り、下流地域の田畑を潤すために造った池です。

 

 

 どの歴史的な貴重な郷土の文献を見ても、そこには必ず牧野池と記してあります。

 それが、昭和15年当時、内務省の関係者及び愛知県の関係者が防空緑地の指定を急ぐあまり、牧野池緑地とするのを牧野ヶ池緑地としたものと思われます。「ヶ」を付け加えられたのです。正に「ケ」ちの付け始めです!

 軍事国家の時代においては、名称の名前の間違いを正すように要請する情況下ではなく、地元住民はお上に逆らえずただ黙っているしかありませんでした。

 

 

 しかし今、郷土を代表する牧野ヶ池・牧野ヶ池緑地という名称を本来の牧野池・牧野池緑地という正しい名称に戻したいという声が大きくなりました。

 

 

 地元のこうした信念を示す証しとして、地元の人々は県牧野ヶ池緑地に隣接した県営高針住宅の敷地内に建設された唯一の名古屋市営保育園の名称を、名古屋市に働きかけて市営牧野池保育園としました。

 更に、名古屋市立「牧の池中学校」とも名称を付けました。せめて自分達の子供や孫達の世代には正しい名称を伝えたいという心意気の熱意を端的に表すものだと言えます。

 

 

 地元の牧の池中学校の生徒は、同じ名東区の中学生からですら牧野ヶ池中学校といつも間違って呼ばれていつも心を痛めています。私の所にも生徒が来られ、なぜ県有地である牧野ヶ池及び牧野ヶ池緑地を正しい名称の牧野池・牧野池緑地として改めないのかという声が寄せられています。

 

 

 県が改正すれば問題はすぐに解決が出来ると言っています。

 

 

 今から4年程前に、私は地元住民の代表者と共に県牧野ヶ池緑地の名前を、元々の由緒正しい名称であるべきであったはずの牧野池及び牧野池緑地と変更をしていただきたい旨の陳情を行いました。

 県当局の見解は以下の通りでした。

 

 

@ 県牧野ヶ池緑地及び牧野ヶ池の名称は、もはやすでに県民に広く浸透し、親しまれている。

A 環状2号線を含む道路標識には、すでに牧野ヶ池緑地として2か所程、標識が立てられている。変更には設置費用が掛かる。

 

 

 以上の2点の理由で名前を変更することは出来ないとのことでした。

 私を含む地元名東区民は、軍政下で間違えてつけられた名称を変えることがなぜいけないのか、県の言う「間違いも長く続けばそれが正しい」とはよくも言えたものだと憤然とし怒りすら生じました。

 今の平成の時代に悪しきものを正しいものとするのがお役所の仕事だと思います。  

 

 (知事の所見を求めます。)

 

 まして、道路標識の2か所を訂正するくらいどれだけの費用がかかるというのでしょう。  

 

 (もう、お笑いものです。)

 

 

 県当局に対し、名称を改めるには最低限何が必要なのかお尋ねした所、建設部長は、まずは当時の周辺の住民及び地権者の関係者だけでなく、誰からも異論が出ないものでなければいけないと親切に仰って下さった。

 具体的には、地元全体の同意・名東区民の同意・名古屋市の同意に加え国土地理院も認めることが不可欠である旨の道筋を教えて下さいました。

 

 

 ご指示をいただいたこともあり早速、名古屋市に出向いてみると、「県の牧野ヶ池そして牧野ヶ池緑地のことでありますから、県が自ら牧野池緑地と名称をお変えになられればいいことでして名古屋市が愛知県を差し置いて云々は言えません」との回答でした。

 

 

 普通ならばこれで、一件落着で「お仕舞い」になる話です。

 しかし、私を含む地元住民は、県の対応への怒りをファイトに変えて地元住民の同意・名東区民の同意・名古屋市の同意・国土地理院の同意を取り付けるべく不屈の精神で立ち上がりました。

 

 

 今やっと苦節4年の努力でもって、地域住民の同意・名東区民を代表する全ての団体・16万人を代表する名東区役所及び220万人を代表する名古屋市の同意を得て、県牧野ヶ池緑地の基となっている「池」の名称を「牧野ヶ池」から「牧野池」にする旨の賛成同意を得ました。 そして、国土地理院も「池」の名称を正式に「牧野池」と改めました。

 

 

 かつて民有地であった牧野池は、今、県が買収して県有地の牧野池となっています。

 その愛知県が自らの所有地でもある「牧野池」の名称変更に同意したこともありまして、国土地理院も「牧野ヶ池」から「牧野池」としました。

 

 

 即ち、県自らが「牧野池」が正しい名称だと正式に認めたのです。

このように至った現在、「池」と「緑地」の名前が違うこと自体がおかしいのです。この際、県当局は速やかに県牧野池緑地と改めるのが必然であるとここに主張致します。

 

県当局の見解を求めます。

 

今回の質問にあたり、私はこれまで再三にわたって県建設部の緑地の担当者と協議をおこないました。

しかしながら担当者はあくまで県は、池の名前の変更は同意した。でも、緑地の名前は変えないと言っています。

 

今この段階に至ってもこのように言っているが...その理由はなぜか、緑地の名前を変えられない理由をはっきりと説明して欲しい。

 

「池」と「緑地」の名前が一緒ではいけない理由を述べてください。

 

(今一度、お尋ねする。)

 

○県牧野池緑地・県所有牧野池で統一していただきたい。

 その手続きをされることを強く求めます。

 

建設部長だけでなく知事からも所見を求めます。