2023.3.13福祉医療委員会 (新がんセンター基本構想調査費 筒井タカヤ委員)

 

 

 

(筒井タカヤ委員)

 

 

令和5年2月愛知県議会の予算書の議案に、将来のがんセンターの整備に向けた基本構想の調査費3,000万円が計上されている。

 

新がんセンター基本構想調査費は、大きく分けて二つあるとされている。一つは基本構想調査、次に有識者会議の開催である。

 

まず、基本構想調査では、「がん医療、がん研究に係る現状の整備」、「保有すべき施設、設備、医療機能の検討」である。

 

 

 

愛知県がんセンターの沿革は、日本では国のがんセンターだけだった時代に、桑原知事及び県幹部職員と県議会の議員が、県民の命を最優先に考えて、地方自治体で初めて、本格的にがん医療に取り組むとして決断し、実現した。

 

場所は、名古屋市千種区内の自由が丘地区の千種台の高台一角の雑木林を整備して完成させた。

 

私自身も名古屋市千種区の住民でもあったので、幼い頃、自転車で友人と工事現場にも見学に出向いた記憶がある。

 

現在では、地下鉄の駅も近く、周囲は公・私立中学校、高校もあり快適な環境であるが、がんセンター工事当時はとても不便な場所であった。

 

 

 

1964年12月の完成時には、病院だけでなく研究所も併設し、愛知県がんセンターを設立した当時の医師団の熱い意欲にびっくりした次第である。

 

5年後には、病床が333床から22床増やして355床に、1992年には、本格的な改築によって500床とした。

 

さて、世界のがん医療・研究も大きく変化し、最新の放射線療法、重粒子、陽子線、中性子等による療法と進化している。

 

そのたびごとに、最新の医療施設を導入するには、従来型の病院内の敷地では、どこでも対応ができないのが現実である。

 

研究棟も、世界の情報を即受け入れられる施設も必要である。ましてや、職員の確保には、託児所も不可欠である。

 

 

 

将来のがんセンターを考えると、今の敷地内で、一つひとつの建物を取り壊して撤去しながら、新たなる病院施設を作り直す方法では、ダメだと気付いているはずである。

 

私は、かつて、大きな決断をして取り組んだ時代が愛知県にあったことを覚えている。

 

1988年の、幻の名古屋オリンピック誘致の決断の時、名古屋市千種区の平和公園内の国有地の広大な森に、巨大スタジアムを建設して実現しようとした時代があった。

 

名古屋オリンピックは、結果的に、ソウルオリンピックに決定して幻となった。

 

現在の愛知県がんセンターの南東に、国有地は今もある。この広大な土地に、将来の愛知県がんセンターを招致したならば、いかなる構想にも適用が可能である。

 

ちまちました、愛知県がんセンター新建築では、人類のがんとの闘いはできないと考える。国民、県民、市民の命を守るとした考えを、今こそ大切だと思うからである。

 

以上に述べた基本構想の調査であることを求める。

 

県当局の所見を求める。

 

 

 

 

(健康対策課長)

 

 

 新がんセンター基本構想調査費は、がんセンターが、今後も日本のがん医療を牽引し続けていくため、将来のがんセンターの整備に向けた基本構想の調査を行うものである。

 

がん医療・がん研究に係る現状の整理や、保有すべき施設、設備、医療機能を調査するとともに、有識者等の意見を伺いながら、建替え等の整備手法も視野にいれつつ、基本構想の調査、検討を行っていく。

 

 

 

(筒井タカヤ委員)

 

 

有識者会議においても、愛知県がんセンター移転の有識者の意見が出ることを、大いに期待をする。

 

有識者の会議には、いかなる層の人々をお考えか、所見をもう一度求める。

 

 

 

(健康対策課担当課長)

 

 

 有識者会議については、がん医療の専門家等を中心とした、外部の有識者の方々に意見を伺っていきたいと考えており、来年度の早い時期に設置できるよう、現在検討を進めているところである。

 

有識者会議は、とても重要なものと認識しているので、しっかりと検討して、適切な方々に委員をお願いしたいと考えている。

 

 

 

(筒井タカヤ委員)

 

 

大きな大きな、夢と将来を構想されることを、心から願い、祈っている次第である。広大な森の中に包まれたがんセンターがあり、広大な敷地の中で、今後50100年先を考えた色々な施設が誕生ができる、そういったものであることを期待するわけである。

 

まして、あんな小さな敷地の中で、ちまちまとした建替え構想を今やっているようでは、およそ私たちが、あの国立がんセンターに次ぐがんセンターを作った、大いに夢を描いたものとは、どうも違う気がしてならない。

 

あの当時、名古屋オリンピックで今でも覚えているのは、東邦高校のすぐ西側に、大きな大きなスタジアムを作る看板も出て、私たちは夢を描いた。

 

その夢は消えたが、そこが、人類、県民、市民の、がんとの闘いに取り組む夢の殿堂の場所に選ばれたなら、最高ではないかと期待している。

 

それが私たちの願いであることが通じるよう、この基本構想に取り入れられることを大いに期待したい。